今を生きる魂への物語
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六十六年目の八月十五日
2011年8月15日 (月)

終戦記念日の今日、津市の護国神社を参拝してきました。
母方の祖父の御霊もこの神社に祀っていただいているので、毎年夏になると実家に、万灯御霊祭りだったでしょうか、そんな案内が届いていたのを覚えています。
もちろん会ったこともない祖父です。仏壇に飾られた一枚の遺影だけが、その存在を教えてくれていました。
南島で終戦間際に亡くなったという話は聞いていましたが、仏壇やお墓参りの時に手を合わせるだけの遠い存在でした。

三年ほど前に鹿児島の知覧から飛び立って行った若者たちの、特攻隊の映画を観ました。子どもの頃からそれまでも色々な戦争に関する映画やドラマは観てきていましたが、それは歴史の一部のような感覚で観ていたのだと思います。父母は戦争体験がり、私自身が生まれた時もまだ戦後十数年しかたっていなかったのですが、それでもそれはすでに歴史の教科書の世界だったような気がします。
魂というものを考えるようになってから観たその特攻隊の映画が、かつての戦争は単なる過去の歴史ではなく、今を生きる私たちにつながる出来事なのだと気付かせてくれました。その舞台であった知覧にお参りしたくて、八月初旬に鹿児島に行ってきました。

先日初めて祖父の亡くなった島の名前を母に聞きました。知らない名前の島でしたが、今日神社の碑の中にその島の名前と場所を見つけました。ああ、ここなんだ…って思った時、自分に祖父がいたんだなと心で感じることができました。

これまで戦争については、教科書で学んだことをそのまま事実だと鵜呑みにしていましたが、私が学んできたことは勝者が描いた歴史なのかもしれないと最近思っています。日本にも対戦国にも様々な面があり、良い面も悪い面もあったでしょうから、色々な角度から過去を紐解いていかなければならないと思うこの頃です。


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